時計塔を眺める街並みルート
コースのご案内
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コースの見どころ
旧西那須野町のシンボル時計塔を中心に、開拓にまつわる神社などを巡ります。開墾を阻む石を集めてできた石塚は、現存する数少ない者で、開拓当時の苦労が思い出されます。
コースのチェックポイント
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- スタート 中央地区コミュニティセンター
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- トイレ
- 休息所
- 駐車場
- 給水所
中央地区コミュニティセンターは、東小学校区内にある5自治会で構成され、1997年(平成9年)に発足した中央地区コミュニティの活動拠点です。
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- チェックポイント 1 西那須野公民館内の渡辺美智雄、那須野原開拓者の胸像
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- トイレ
- 駐車場
- 給水所
開拓者の胸像は、那須野が原開拓に大きな功績のあった印南丈作(じょうさく)、矢板武、三島通庸(みちつね)の胸像です。1967(昭和42)年西那須野町立中央公民館(現西那須野公民館)の落成町制施行80年を祈念して除幕され、以降公民館ホールに展示されています。現在は、3人の胸像に並んで国営那須野原開拓建設事業に大きな功績のあった渡辺美智雄の胸像も展示されています。
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- チェックポイント 2 十九夜地蔵尊堂
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十九夜地蔵堂は、1925(大正14年)に建立された縦、横、高さ2m四方の地蔵堂で、「十九夜尊」と書かれた額が掲げられており、太夫塚地内にあります。生活の厳しかった開拓の頃子どもの無事成長を祈願し、死産した子どもたちの霊を慰めるために祀ったといわれています。現在のお堂は老朽化のため1954(昭和52)年に改築されたものです。
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- チェックポイント 3 淡島神社
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淡島神社は、太夫塚地内の小高い丘の上にあり、1908(明治41)年和歌山県の淡島神社より分社されたものです。開拓のため入植した人たちが、家内安全、子孫繁栄そして作物の豊穣を祈願したとされています。かつて大和製糸工場が操業していたころ、女工たちがお参りし、切り髪や針箱を供えたりしたそうです。例祭の3月3日には、針供養が行われます。
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- チェックポイント 4 太夫塚神社と庚申塔
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- 駐車場
太夫塚神社は、太夫塚公民館の脇にあります。三島農場地内太夫塚地区の開拓の中心人物であった小林熊蔵の遺徳を後世に伝えるため、彼を祀る「招魂社」を建立し、1940年(昭和15年)現在の地に移転しました。後に養蚕組合や開拓農家の要望により蚕玉(こだま)神社と水天宮様を合祀し、太夫塚神社と改名しました。
庚申塔は、かつて地区内の信仰の木として崇められていた庚申松が枯死したことから2003(平成15)年に建立されました。開拓当時、先住の地に伝承されていた庚申講を開講し、豊作や疫病危難の回避を祈願しました。
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- チェックポイント 5 開拓苦難の石塚
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- 駐車場
石塚は、かつて土地を開拓する際に掘り出された石を畑に積み上げたもので、「石ぐら」とも呼ばれています。那須野が原は、扇状地のため各所でこの石塚が積み上げられました。戦後、石塚の石は宅地の敷石等に使用され、現在はほとんど姿を見ることはなくなりました。石塚は那須野が原開拓にあたった人たちの苦労と汗がしみ込んだ苦難の証です。2011年(平成23年)10月、太夫塚地区内の人々の手により私有地にあったこの石塚を大いなる遺産としてそこから太夫塚公民館敷地内に移設されました。
- チェックポイント 6 通過地点
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- チェックポイント 7 愛宕神社
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- トイレ
愛宕神社は、主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)で、あたご町3-7にあります。鉄道の開通により汽車から出る火の粉でたびたび火災が発生したことから1901年(明治34年)京都の愛宕神社より「火伏せの神」の分神を建立し、その後現在地に本殿・八幡宮・八坂神社・甲子神社が建てられました。1999(平成11)年9月には本殿、拝殿、社務所を再建しました。例祭当日は神輿の渡御があります。例祭日は9月14日ですが、その前後の日曜日に行われます。
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- チェックポイント 8 支所庁舎時計塔と「望」の像
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- トイレ
- 休息所
- 駐車場
- 給水所
支所庁舎時計塔は、1989(平成元)年西那須野町役場として建てられました。庁舎には旧西那須野町のまちづくりのテーマ「水と緑と心」が表現されています。前庭とシンボルロードにある水路は地域の人々の生活を支えてきた那須疏水を、庁舎の周りの木々はこの地域にあふれる豊かな緑をイメージしています。そして、住民の心を象徴するのが明日を切り開く音を奏でるスイングベルの時計塔です。また、庁舎の正面には開拓者たちの明日への夢と希望に生きる姿を表現したモニュメントとして「望」の像(昭和42年 南庄作・作)があります。
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- チェックポイント 9 那須疏水ゆかりの黒松
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黒松は、西那須野駅西口ロータリーの植えられています。もともとは、西那須野駅西口の袴線人道橋の下を流れる那須疏水の岸に生えていましたが、駅西口整備事業を実施した際に伐採されました。推定樹齢150年といわれ、1886(明治19)年に西那須野駅(当時は那須駅)が開業した時は既にあったと言われています。
現在の黒松は、2010(平成22)年ロータリーの完成に合わせて記念に植えられたものです。
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- チェックポイント10 西那須野駅(西口)
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- トイレ
- 休息所
- 給水所
西那須野駅は、1886年(明治19年)に東北本線が西那須野まで開通し、那須駅(那須停車場)として開業しました。その後、塩原方面に塩原軌道が、黒羽大田原方面に東野鉄道が開通し、人々の乗降、そして物資の集散など輸送の中心的な役割を果たしました。現在の駅舎は、東北新幹線の建設とともに1980年(昭和55年)に新築され、3代目となります。
平成21年度の駅西口広場整備事業により駅舎にエレベーターの設置、広場のロータリー化と歩道橋が作られ現在の形になりました。
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- チェックポイント11 通り名のある街並み
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西那須野駅が開通してから駅を中心に商店街、職人街、映画館など家が建て込み、いつの間にか七つの通り名ができました。駅前通り、さくら通り、そ水通り、一本杉通り、要町通り、五軒町通り、平和通りです。7月の盛夏には「西那須野ふれあいまつり」が行われ、ハイライトの流し踊りはそれらの通りのいくつかを巡回します。
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- チェックポイント12 永田区大師堂門碑
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西朝日町の大田原街道沿い「弘法大師、1928(昭和3)年4月22日」と刻まれた門碑が建っています。細い道の奥にかつて下野新四国八十八箇所霊場の第十七番札所として大師堂がありました。初期の頃は停車場大師堂として宗源寺にあり、いつの頃か当時の朝日町へ移転し永田区大師堂となりました。老朽化の為現在お堂はありませんが、大師像などは皮脂朝日町自治会が保存し、巡礼祭は3月、弘法祭は4月に行われています。
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- チェックポイント13 宗源寺とエドヒガンザクラ
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- 駐車場
騒動時宗源寺は、1892(明治25)年の開創で、本尊は高さ158cmの木造大白衣観音菩薩です。また、那須三十三漢音霊場の第15番礼所となっています。毎年1月の第3日曜日には聖徳太子をしのぶ太子講が行われるほか、節分追儺式や大晦日のお焚き上げの行事が行われます。
エドヒガンザクラは、樹高20m、推定樹齢150年で毎年ソメイヨシノに先駆けてピンクの濃い花を咲かせます。なお、大白衣観音菩薩とエドヒガンザクラは共に市の有形文化財に指定されています。
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- チェックポイント14 南郷稲荷神社
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南郷稲荷神社は、東町の第一南区公民館の敷地内にあり、宇迦魂(うかたま…女神、稲の神)を祀っています。1916年(大正5年)初午、かつて大田原街道沿いにあった豊川成功稲荷をこの地に移すとともに、南郷稲荷神社と改称しました。以降、第一南郷屋の鎮め神として地域の人々の崇敬を受けています。なお、神社内には、八坂神社が合祀されています。稲荷神社の祭りは第一初午直近の日曜日を春祭り、10月第一日曜日を秋祭り、八坂神社夏祭りを7月下旬の土曜日に行っています。
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- チェックポイント15 一本杉と稲荷神社
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- 駐車場
一本杉は、西那須野駅から塩原温泉方面に約300m行ったところに立つ推定樹齢200年の杉の木です。かつて、那須野が原は広大な原野でしたが、原野を往来する人々の目印として何本かの杉が植えられ、現在はこの一本だけが残ったとされています。
1955(昭和30)年頃地域の人々は、この杉の木を御神木とした稲荷神社を杉の根本に祀りました。3月下旬には例祭を行っています。
- チェックポイント16 通過地点
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- チェックポイント17 疏水パーク
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- トイレ
- 休息所
- 給水所
疏水パークは、旧西那須野町の「疏水の流れるまちづくり」の一環として、1991年(平成3年)3月に、かつての魚菜市場の跡地に造成されました。都市化と車社会の進展により、かつては表流していた市街地の那須疏水もその流れを直接見ることができなくなったことから、那須疏水をイメージ化した公園として整備しました。
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- ゴール 中央地区コミュニティセンター
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- トイレ
- 休息所
- 駐車場
- 給水所
中央地区コミュニティセンターは、東小学校区内にある5自治会で構成され、1997年(平成9年)に発足した中央地区コミュニティの活動拠点です。